『思考の整理学』を世に輩出した著者の「読者論」と帯に書いてある。正直な話私は、「読者論」よりは「読物あれこれ考察本」としてとらえている。本書に登場するのは、古典の条件や言語学、解釈論などの話である。
古典が古典たる所以
個人的に面白かったのは、古典は異本化によって作られる、という意見だ。異本化とは推敲や添削、編集、読者の解釈のことを言っている。たしかに古典のほとんどは研究書や訳書が作られるので納得できる意見だ。なんとなく古典はえらい、畏れ多いみたいな考え方がしみ込んでいるひとも多いと思う。なぜなら、私自身がそうだから。
本書では読者の自由な解釈を肯定している。古典を崇拝して称賛する必要ないということだ。高校現代文のような一律化は望まれていない。だから私も本書を自由に解釈して当記事を自分だけの異本にしていきたい。一部の偉い学者の「原典を読みなさい」という声に圧倒されずに読書をする。ちなみに著者も
著者の意図の尊重という重圧が自由な読書のよろこびを圧迫していることが、これまで、あまりにも多かったように思われる。読者はもうすこし気楽に振る舞ってもよいのではあるまいか。(p9)
という風にも述べている。