現代の若者は読書量が少ない。いや大多数はないと言ってよい。私の高校の同級生なんて「年間読書量ゼロです」みたいな人達ばっかだった。
ちなみに1人だけ読書オタクがいて、彼は高校生にしてプルタルコス『英雄伝』や慈円『愚管抄』、ダーウィン『種の期限』などを読んでいた。彼のオススメ本は『君主論』らしい。
関係ない友人の話をしてしまったが、若者の読書量が少ないことは問題である、と私も思う。
読書によって日本を救うのが、本書のテーマのように思われる。
本書について
著者:斎藤孝
出版社:岩波新書
初版年:2002年
読書愛
本書を読んで1番思ったのは、本書が「読書愛で書かれた本」ということである。著者の読書愛は異常なほどで「本書には本音しか書いてない」と思わせてくれるくらい、大学生の読書力を悲しんだり、現代の読書教育に提言したりと、ぶっちゃけている。一種の暴露本みたいな本であった。私自身も痛く突かれた箇所もあり、「読書」について改めて考える良い機会になった。
現在、インスタやYouTubeなどの投稿を見ると、(私も人のことは言えないけど)推理小説や感動ポルノ本など娯楽小説が多く投稿されている。あとビジネス書。逆に純文学や学術書を載せている人は少数派となっている。著者がこれを見ると、激怒するのではなかろうか。
読書会
また読書会についても記載があった。
読書会は、かつて一つの文化であった。大学生になれば、本を読んできて集まり、それによって話をすることは、誰に強制されるともなく続いてきた文化である。(中略)二人で本を決めておいて別々に読んできて話をするということも、私はよくやっていた。(p172)
ただ集まって酒を飲んで話すのも楽しいが、共通のテキストについてまじめに語り合ったあとに飲みに行くというのは、充実した時間であった。(p173)
などと述べている。
私の読書会
ここで私は考えた。
「同じ本」を「読んで来る」これらは絶対条件なのか?
「違う本」で「その場で読む」のはダメなのだろうか。
私の理想のの読書会では「それぞれが異なる本を持参し、その場で読む。そして30分ごとに感想を語り合う」というルールを設けていく。確かに時間はとてもかかる。が、読書の楽しみを友人と共有できるので、コミュニケーション力もつくし読書力もつく。
問題点は1回の読書会に時間がかかるということだけである。しかし、あくまでも目標は読み切るではなく、本を味わうということであるので、案外時間は問題ではないのかもしれない。
他に良い意見があれば、ぜひ教えてください。
読書リスト
本書の巻末には読書リストが載っている。私自身も読んだことない本ばかりなので、もっと読んでいきたい。また本文中にも、かなりの本が登場するので、興味あるものから手をつけていしたい。個人的に興味深いのは、E.H.カー『歴史とは何か』とシャルティエ、カヴァッロ編『読むことの歴史』かな。やはり、歴史系に偏ってしまった。また斎藤孝さん関係でいくと『理想の国語教科書』あたりも気になる。
当記事を読んでくださった方も「読書力」を磨いて、各々の目標達成に向けて歩みましょう!
最後に
斎藤孝『理想の国語教科書』
E.H.カー『歴史とは何か』
シャルティエ、カヴァッロ編『読むことの歴史』
【読書論・教育論・岩波新書】